よひらとよしなに

雑貨と読書と豊かなくらし

どんなときでも 〜幸せは目の前に〜

ついにクリスマス・イヴになってしまいました!!そしてそれも終わりそう。

だから何てことはないんですけどね( ・∇・)

今日も元気です。

 

クリスチャンではないのですけど、この時期はどうしても賛美歌を歌いたくなってきます。

今日は私の知っている賛美歌の中でも、これはご紹介したいなと思ったものを書いていきます。

まずは歌詞をご紹介します。

 

讃美歌歌詞
 
1 どんなときでも、どんなときでも、
  苦しみにまけず、くじけてはならない。 
  イェスさまの、イェスさまの
  愛をしんじて。
 
2 どんなときでも、どんなときでも、
  しあわせをのぞみ、くじけてはならない。 
  イェスさまの、イェスさまの
  愛があるから。
 
  ロマ8:18、35~39 申6:10~12
 
 

 

この賛美歌はあまりにもシンプルだからこそ、読んでみてどんな風に感じるかは人によって大分違うと思います。

私も初めて歌ったときは「えっこんな単純な歌詞でも賛美歌になるんだ。へえ~。」みたいに感じていました。今となっては大変失礼な話です。。。

 

 あとメロディーがないのでイメージしにくいと思うのですが、歌詞同様シンプルで温かみのあるものです。気になった方はぜひ調べてみてください。

 

 

さてさて、この賛美歌のタイトルは「どんなときでも」といいます。

(賛美歌って大抵一番最初の歌詞がそのままタイトルになるんですよね)

 

なぜこの賛美歌を選んだのか、その理由は私の中学時代に遡ります。

 

私はクリスチャンスクールの中学に通っていました。

毎朝礼拝があり、クリスチャンの先生方が持ち回りでお説教をしてくれます。その中で当然賛美歌も歌うわけで、今回の「どんなときでも」もちょくちょく登場するもののひとつでした。

 

ある日、礼拝が始まるまで少し時間があったので、友達と談笑しながら待っていました。そしてちょうどその日歌うことになっていたのが「どんなときでも」。歌う時すぐにそのページを開けるように、事前に栞を挟んでおこうと賛美歌を開けたとき、ふと作詞者に目が留まりました。もっとちゃんと言えば作詞者の横に書いてあった年月にです。

 

そこには「1959-1967」と何の事もなしに書かれていました。

 

何の年月なのか、まさか生まれてから死ぬまでのなんてことはないだろう、だってそれではたった8年にしかならないじゃないか。。

まさかと思って友達と一緒に引き算をやり直して、やっぱり8年で、実はこの詞を書くのにかかった年数なんじゃないの?なんて言い合う始末。信じたくないんです。でも無理があるんですよ、作曲者は「1941-」になってるんですもん。それでいくとまだ作曲途中になってしまうんです。

 

どんなに考えてもわからなくて、ちょうど通りかかったクリスチャンの先生に半ばパニックになりかけながら聞きました。すると先生は落ち着いた様子で「それはその子の生きた年月ですよ」と教えてくれました。しかし納得なんて出来ずにそれでは8才になってしまうと言えば、やはり先生は「そうですよ」と静かに言うのでした。

ちょうど礼拝が始まる時間になってそれ以上詳しく聞くことは出来ませんでしたが、私も友達もなんとなく「可哀想」などという言葉では片付けられず、それ以上何も言えませんでした。

 

それから少し経って、また「どんなときでも」が礼拝で歌う賛美歌に選ばれていました。

この前のことを少し頭に過らせていると、先生は「今日は、今歌った賛美歌を書いたある女の子のお話をしようと思います。」と言い、全てを教えてくれました。

 

歌詞を書いた女の子の名前は「高橋順子」さん。

彼女は幼くして「骨肉腫」という病に侵されていました。

名前を聞いたことがあるという方は多いのではないでしょうか。一言で表せば癌です。子供の膝付近に発症することが多いもので、今の医学をしても10年生存率は70%未満。たとえ助かっても発症したところは骨ごと切除、2度と元の生活には戻れません。

 

そんな病と闘う彼女の支えは家族と教会でした。大好きな学校にも教会にも通えず、痛みに耐える日々が続きます。

幼くても病気の重さはわかったでしょう。大変な手術も覚悟せざるを得なかったでしょう。

 

ですが彼女は希望を捨てませんでした。

そして出来上がったのがこの詞です。

片足を切除する手術の4日前でした。

 

彼女の詞が正式に賛美歌になったのは1967年、彼女が7歳というあまりに短い人生を閉じた年のことです。

 

 

この日の礼拝を覚えている子はどの位いるのでしょうね、もうほとんど会っていませんから。でも覚えている子がいれば嬉しいですね。

 

あのお説教がなくてもこの賛美歌を覚えていたのか、ストーリーを知っているから覚えていられたのか、どちらなのでしょう。

どちらにしても、今でもたまに思い出してはすぐに歌えるこの賛美歌は、宗教など関係なく人の心そのものに響く何かがあります。

 

高橋順子さんのお話を聞いて、自分は恵まれていると感じた方もいるでしょう。ですが何も自分と比べる必要はありません。

あなたの人生は、常にあなた自身の定規で測っていいのですから。

 

私が今回この賛美歌をご紹介したのは、ただただ高橋順子さんという方が素敵だと思ったからです。自身の人生に真正面から向き合った彼女を私は心から尊敬します。

 

今日も明日も明後日も、毎日が特別です。

目の前にあるささやかな幸せにみなさんが包まれますように。

メリークリスマス。

 

お読みいただきありがとうございました(*´-`)